山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学

山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学 page 12/28

電子ブックを開く

このページは 山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
12り)・礼儀を挙げている。山川によれば、武士道はヨーロッパの「士君子(ジェントルマン)道」と多くの点で共通していて、「士君子道」は礼儀・勇気・廉恥心・忠恕心が徳目であるという。そして特に「忠君愛国」が、....

12り)・礼儀を挙げている。山川によれば、武士道はヨーロッパの「士君子(ジェントルマン)道」と多くの点で共通していて、「士君子道」は礼儀・勇気・廉恥心・忠恕心が徳目であるという。そして特に「忠君愛国」が、士君子道で弱いのに対して武士道では特に重視される特徴であるとする。このように見てくると、山川は極端な軍国主義者のようにも思えてしまうが、決してそうではない。彼は国を守ることは強調するが、侵略主義であってはならないとも言う。そして、しばしば武士道と士君子道を比較しているのも、明治維新後忘れ去られつつあった武士道を賞賛し復活させる試みでもあったが、それ以上に両者の共通点を見出し、普遍的な「士」たることが理想の人間像であることを示すためであったように思える。では武士道や士君子道を実践できればそれで十分に「士」となったと言えるかというと、そうではない。山川は九大赴任時の学生への訓示の中で、「修養が広くなければ完全な士と云ふ可からず」と述べている。「完全な士」となるためには修養を広めなければならないのである。では「修養が広い」とはどういうこともちろん当時の日本人留学生はみな国家のために勉学することを志して留学していたであろう(もっとも、初志貫徹できない留学生が多かったため、山川もそのとばっちりを受けて帰国させられそうになったのであるが)。山川もまた同様であり、このような証文を書かずとも帰国後は「本国の為に尽力」したであろうが、外国人からこうした援助を受けたことで、彼の使命感、「国家のための学問」という考え方はいっそう強くなったに違いない。「完全な士」への修養山川はさらに、学問を通じて国家に貢献するだけでなく、有事の際には兵士として国家に身を捧げることを学生たちに求めている。そのため、学生に対しても軍事訓練を受けることを奨励した。武士として、戊辰戦争という実戦に参加した山川からすれば、社会の上層に位置する学生が軍事的な責務を負うのは、当然のことと考えられたのである。これはすなわち「武士道」の実践を求めている、ということであろう。ではその武士道とは何か。山川はその徳目として忠君愛国・孝行・皎潔(潔癖さ)・信義・忠恕(思いや九州帝国大学医科大学第1回卒業生(明治44年)京都帝国大学福岡医科大学生として明治40年に入学した彼らは、山川の九大赴任最初の訓示を聴き、九州帝国大学最初の卒業生として巣立っていった