山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学

山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学 page 15/28

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15■九州帝国大学初代総長・山川健次郎ないためには日本国民の愛国心を盛んにすることが一番重要であると考えた。そのため、彼は学校に軍事教練の導入を一貫して提唱してきた。それは、軍事教練が即戦力を養成すると同時に愛国心を高揚させる有効な方法だからである。山川が言う軍事教練は国防を第一とする。学生生徒は潜在的兵力として平素軍事教練を受け、一朝有事の際に「国民皆兵」で国を守ることができる。山川の教育方針を貫徹した明専では軍事教練を必修科目として多くの時間を費やし、操銃・射的・行軍・野外演習などを厳格に実施した。一方、必修ではないが、帝国大学生に対しても山川は軍事教練を受けることを勧めた。国を失った民は民ではないという自身の痛切な経験から、山川にとって日本を強くして「弱肉強食」の世界で独立を維持することが何よりも重要だった。そのためには次代を担う若者を「愛国心」を持ち、国・社会の利益のために尽くす優れた人材に育て上げることは、教育者である山川の最大の目標であったと言えよう。(前九州大学大学文書館百年史編集室助教陳昊)一、勇気を練るべし一、礼儀を濫るべからず一、服従を忘るべからず一、節倹を勉むべし一、摂生を怠るばからず前述のような忠孝、礼儀、勇気、廉恥、摂生など、九大生、明専学生に対する山川の教訓は、現代社会にも通じるものである。親孝行、博学多識、自分の言動に責任を持つこと、恥を知ること、上司の指示に従うこと、健康における自己管理などは、一人前の社会人になるためには欠かせない心得であるとも言える。「有文事者必有武備」大正4(1915)年9月、山川は勅命を受け、「有文事者必有武備」の書を天皇に献上した。文を事とする者は武も身につけるという。日露戦争で勝利を収めた日本は、一見、欧米列強の仲間入りを果たしたようにみえたが、山川の中で他国に分割される危惧は終始消えなかった。その根底にあるのは彼が会津武士の子として少年時代に遭った「亡国」の経験である。欧米列強と比べ、日本は人口、土地の広さ、資源、国力、教育水準が劣っている。この現実を見据え、山川は生存競争に負けねた。山川は着物に袴をつけて、丁重に学生を座敷に招じ入れ、鷲のような眼で一人一人を見回し、諄々と国家の現状及び時事問題などを説き、若者の奮起を促した。一方、山川が専門学校に求めたのは日本の発展を支える中堅たる技術者の養成である。山川が明専において掲げたのは「技術に堪能なる士君子」である。その裏には、明治維新後の教育が知育偏重であることに対する彼の強い批判がある。すなわち、ただ単に仕事のできる技術屋ではなく、徳義心を持ち教養もある人間を育てること。これが明専の教育方針の基盤となり、明専そしてその後身である九州工業大学の「建学の理念」ともなった。山川は開校式に左記の八か条の重点徳目を学則として挙げ、学生の自律を求めた。以後、明専はこれを座右の銘として位置づけた。一、忠孝を励むべし一、言責を重んずべし一、廉恥を修むべしきであるという。すなわち、山川が望んでいる人材は「修養が広」い「完全な士」である。ここに言う「修養」はいかなるものであろうか。専門を極めることはむろん、趣味、専門以外の知識をも広くすること。そして「君国に忠し、父母に孝に、兄弟に友に、朋友に信に、取捨節あり、処身勇あり、人に交るに礼あり譲ある」という愛国心、親孝行、兄弟愛、礼儀、勇気、廉恥、摂生などの「武士道」精神を修得すること。すなわち、日本人たるもの、日本の心を忘れてはいけない。訓示、告辞だけではなく、山川は直接の交流を通じて学生たちに愛情を注いだ。先輩を持たない工科大学第1回生は時折総長の山川の家を訪(2回の首相を務めた)大隈重信が私立明治専門学校を訪問。大隈重信(前列、中)、安川敬一郎(左)、山川健次郎(右)、松本健次郎(中央、後)大正2年11月