山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学

山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学 page 24/28

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24明治44年11月11日、国鉄門司駅職員が鉄道自殺した。先日10日午前、久留米に向かう明治天皇一行が乗車予定の特別列車が門司駅内で入れ換え作業中脱線し、約1時間、天皇を待たせた。その責任をとっての自殺であった....

24明治44年11月11日、国鉄門司駅職員が鉄道自殺した。先日10日午前、久留米に向かう明治天皇一行が乗車予定の特別列車が門司駅内で入れ換え作業中脱線し、約1時間、天皇を待たせた。その責任をとっての自殺であった。天皇は久留米で行われる陸軍大演習に臨み、統監する予定であった。演習はとどこおりなく行われた。事故の原因は下り本線に入るため入れ換え作業中「御料車の被覆の紐が風にあおられ、ポイントに絡み転換」してしまい、車両後部の車輪が脱線、その復旧に時間をとり、5分間の休憩の予定だった天皇を約1時間、待合室で待たせることになった、というものである。福日紙(西日本新聞の前身)など地元紙は報道を抑えたが、東京朝日、大阪毎日などが門司駅員の引責自殺と顕彰碑建立、鋭く批判「不敬の追及」を一蹴明治最後の重大事件へ発展山川健次郎言責問題山川健次郎が九州帝国大学初代総長に就任した明治44年の11月「山川健次郎不敬言責事件」と呼ばれる事件が起こる。天皇のお召列車入れ換え作業中、脱線させた責任をとって鉄道員が自殺。天皇は乗車していなかったが、出発が予定より大幅に遅れたことへの引責自殺であった。福岡玄洋社は建碑を呼びかけたが、山川は自殺に「賛成出来ない」、建碑にも「反対」とする見解を福岡日日新聞に発表。玄洋社などを中心に山川の不敬追及の運動が起こった。しかし、山川は「(談話を)修正する必要なし」とはねつけた。大逆事件の検挙の直後であり、山川事件は明治時代最後の重大不敬事件となった。山川談話を掲載した福岡日日紙面「自殺には賛成できず、賞讃し碑建立にはどうしても同意できない」と強く主張した