山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学

山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学 page 26/28

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26解する立場に立っていたといえよう。天皇を敬愛しつつも「天皇のために」を唯一の価値観とすると国を誤るとする合理的思考の人だった。しかし、昭和6年の山川の死後、同10年美濃部は天皇機関説のため不敬罪で告発....

26解する立場に立っていたといえよう。天皇を敬愛しつつも「天皇のために」を唯一の価値観とすると国を誤るとする合理的思考の人だった。しかし、昭和6年の山川の死後、同10年美濃部は天皇機関説のため不敬罪で告発され「憲法撮要」他の著書が発禁処分となる。「天皇のため」が肥大化、絶対化する端的な事件であった。その時代の変化の始まりで起きたのが山川言責事件であったと言えるのではないか。(敬称略)(玉川孝道)の民」の悲劇を身をもって体験している。「国家主義者」というより「愛国の士」(有馬朗人元東大総長)であり、彼が筆をとるとき「有文事者必有武備」と書いたような信条を懐いていた人物だった。「忠君」と「愛国」の価値観は、必ずしも忠君愛国として一体なものではなく、つまり「天皇のために」と「国のために」の二つの流れが存在していたと不敬事件を研究している小股憲明大阪府立大学名誉教授は指摘している。同じ立憲君主制においても天皇主権主義と美濃部達吉の天皇機関説に代表される国家主権主義があり、山川は美濃部と同じ欧米の立憲君主制と共通なものとして理慶応3(1867)年賛生館設置明治36(1903)年京都帝国大学福岡医科大学創設、同附属医院設置(のちの九州大学病院)明治44(1911)年新設された工科大学と、京都帝国大学福岡医科大学が統合して九州帝国大学が創立山川初代総長就任大正8(1919)年農学部創設医科大学・工科大学が医学部・工学部となる大正13(1924)年法文学部創設昭和6(1931)年温泉治療学研究所設置(のちの生体防御医学研究所)昭和14(1939)年理学部創設昭和17(1942)年流体工学研究所設置(のちの応用力学研究所)昭和19(1944)年木材研究所設置(のちの先導物質化学研究所)昭和22(1947)年九州大学と改称昭和24(1949)年法学部・経済学部・文学部創設新制九州大学発足、教育学部創設分校(のちの教養部)設置昭和28(1953)年新制大学院設置昭和39(1964)年薬学部創設昭和42(1967)年歯学部創設昭和46(1971)年医療技術短期大学部創設昭和54(1979)年大学院総合理工学研究科設置平成6(1994)年教養部廃止、大学院比較社会文化研究科・数理学研究科設置平成8(1996)年大学院システム情報科学研究科設置平成12(2000)年学府・研究院制度発足平成15(2003)年大学院システム生命科学府設置九州芸術工科大学と統合、芸術工学部創設平成16(2004)年国立大学法人九州大学となる大学院法務学府設置平成17(2005)年伊都キャンパス開設平成21(2009)年大学院統合新領域学府設置平成22(2010)年カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所設置平成23(2011)年九州大学創立百周年マス・フォア・インダストリ研究所設置九大百年年譜天皇に求められて揮毫。臣健次郎と署名している