山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学

山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学 page 6/28

電子ブックを開く

このページは 山川健次郎初代総長パンフ - 九州大学 の電子ブックに掲載されている6ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
6創立年に8年のズレ明治36(1903)年4月、京都帝国大学福岡医科大学という一風変わった名前の大学が福岡(現九大病院地区)に設置された。それから8年後の明治44年1月、勅令第448号をもって創立される九....

6創立年に8年のズレ明治36(1903)年4月、京都帝国大学福岡医科大学という一風変わった名前の大学が福岡(現九大病院地区)に設置された。それから8年後の明治44年1月、勅令第448号をもって創立される九州帝大は、このとき新設された工科大学(現箱崎地区)に、先の福岡医科大学を統合するという方法で開設されたから、九州帝大の直接の前身は京都帝大福岡医科大学ということになる。そしてこの大学は明治21(1888)年設立の県立福岡病院につながり、同病院は明治12(1879)年の福岡医学校にまでさかのぼるので、九大は前史を含めれば130年以上の長い歴九州帝大の創立と初代総長─学生への強い思い胸に、「重石」担う医・工科のバランス重視、真の総合大学づくり新旧総長と医科大学第3回卒業生(大正2年)中央左山川、同右真野文二(第2代総長)山川真野はじめに九州帝国大学は明治44(1911)年に創立された。初代総長は山川健次郎。九州帝国大学(以下、九州帝大)は変則的な形でスタートした。そのことは、この時期の大学制度や以後の九州大学(以下、九大)の歴史を象徴している。同時に山川の総長就任の理由も示唆しているように思われる。本文では九州帝大創立の経緯、総長山川健次郎について概観するが、その前提として、まず九大の前史と明治後期の大学・高等教育制度について振り返ることから始めたい。