九州大学には三つの学生歌と一つの応援歌がありますが,そのうち学生歌は,昭和29年(1954)11月に最初の募集が行われ,学生歌選考委員会において佳作4篇を選考し,そのうち2篇にそれぞれ準入選の作曲が付けられたものが,「松原に」および「聳えて高き」です。そして,昭和33年(1958)3月に「春の讃歌」ができ,その後,応援歌が制定されました。
(参考資料:九州大学75年史-通史-149,150ページ)
嵐雲(あらしぐも)地(ち)にこめて
矢(や)の疾風(はやて) 頬打(ほほう)つも
防塁(ぼうるい)に 火(ひ)は燃(も)えて
誇(ほこ)らかに 自由(じゆう)を守(まも)る
唇(くちびる)も朽(く)ちはてて
黒(くろ)き蛾(が)は 群(む)れ舞(ま)うも
梅(うめ)におう学舎(まなびや)に
翳(かげり)なき 知性(ちせい)を磨(みが)く
日(ひ)は高(たか)く 松原(まつばら)に
湧(わ)き上(あ)がる宴(うたげ)うた
若者(わかもの)の瞳(め)は澄(す)みて
譲(ゆず)るなき 情熱(じょうねつ)を焚(た)く
聳(そび)えて高(たか)き万丈(ばんじょう)の
筑紫(つくし)の峰(みね)に宿(やど)りして
流(なが)れて止(や)まぬ千載(せんざい)の
阿波岐(あわぎ)の河(かわ)に下(お)り立(た)てば
飛(と)び交(か)う鳥(とり)も初春(はつはる)の
愛(あい)の調(しらべ)を歌(うた)うらん
果(は)てなく続(つづ)く漂白(さすらい)の
仮(か)りの庵(いほり)に灯(ひ)ともして
もみじ葉燃(はも)ゆる草ヶ江(くさがえ)の
秋(あき)の一夜(ひとよ)の文読(ふみよ)めば
憂(うれい)いある日(ひ)の若人(わかうど)に
夢(ゆめ)またいつか訪(おとず)れん
不知火(しらぬい)の筑紫(ちくし)の浜(はま)に
見(み)よや闇(やみ)を破(やぶ)りて
燃(も)え立(た)つは
若者達(わかものたち)の円舞(えんぶ)の
焚火(かがりび)
血(ち)はたぎり心(こころ)は躍(おど)る
われら若(わか)き子等五千(こらごせん)
松原(まつばら)に夢(ゆめ)を結(むす)びて
求(もと)めん求(もと)めん噫真善美(ああしんぜんび)
南風立(はえた)てる古(ふる)き都(みやこ)に
集(つど)う世紀担(せいきにな)う者(もの)
歓(よろこ)びに
今(いま)ぞ歌(うた)うはそれ春(はる)の讃歌(さんか)
愛(あい)と知(ち)を情熱(じょうねつ)に秘(ひ)む
これぞ輝(かがや)く青春(せいしゅん)
いざ共(とも)に声(こえ)をそろえて
讃(たた)えん讃(たた)えん噫(ああ)この春(はる)を
見(み)よ紺碧(こんぺき)の海原(うなばら)に
鍛(きた)えし腕(かいな) 陽(ひ)に映(は)えて
闘志(とうし)は燃(も)ゆる 今(いま)ここに
立(た)て 九大(きゅうだい)の健男児(けんだんじ)
見(み)よ青松(せいしょう)の朝嵐(あさあらし)
守(まも)りし塁(とりで) 敵(てき)ぞなき
血潮(ちしお)は踊(おど)る 今(いま)ここに
立(た)て 九大(きゅうだい)の健男児(けんだんじ)
聞(き)け栄光(えいこう)の勝閧(かちどき)を
千代松原(ちよまつばら)に こだまして
苦節(くせつ)はここに 幾星霜(いくせそう)
立(た)て 九大(きゅうだい)の健男児(けんだんじ)
誰かに 似ているかな ふんわり夏の雲
語りかける 迷うこころに 夢を
ふざけすぎた夜明けの
冬空凛と立つ 校舎の群れ
風にまかれ 皆を迎える
愛し伊都の国 愛し伊都の国
ありがとう今日まで あぁ明日からも
お前は第二の ふるさとの家
九州大学 いつもここで 待っていて
一人ぼっちになったら 背中を押してくれる
風は歌う 「あの日受けた 傷は癒えたか」
愛し伊都の国 愛し伊都の国
ありがとう今日まで あぁ明日からも
さらば伊都の国 さらば伊都の国
九州大学 いつもここで 待っていて
愛し伊都の国 愛し伊都の国
九州大学 いつもここで 待っていて